
退職は、労働者にとって新たな人生の再スタートを切る重大な節目です。長年勤め上げた会社を離れる際、これからの生活設計や再就職までの期間を支える重要な資金となるのが「退職金」です。
しかし、退職にあたって会社から突然、次のような主張をされ、途方に暮れてしまうケースが後を絶ちません。
- 「懲戒解雇にしたから、就業規則に基づき退職金は全額不支給とする」
- 「退職後に同業他社へ転職したため、競業避止義務違反として退職金を減額・全額返還してもらう」
- 「会社に不利益を与えて急に自己都合退職したため、退職金は支払わない」
長年会社に貢献してきたにもかかわらず、退職金を一銭も受け取れない、あるいは大幅に減額されるということは、労働者にとってあまりにも大きな経済的・精神的打撃となります。会社の提示に従うしかないと思い込み、泣き寝入りしてしまう方も少なくありません。
しかし、「会社が就業規則に不支給条項を定めているからといって、どんな場合でも退職金の不支給・減額が法的に認められるわけではない」という点をご理解いただくことが極めて重要です。
本コラムでは、労働問題の専門家である弁護士の視点から、退職金の法律上の性質、退職金の不支給・減額が認められる厳格な判断基準、そして会社から不当に退職金を拒否された際の対処法について、分かりやすく徹底的に解説します。
「退職金」の性質

退職金の不支給や減額の可否を論じるうえで、まず押さえておかなければならないのが、法律上における「退職金の性質」です。
日本の労働法実務において、退職金には主に次の2つの大きな性質があると解されています。
- 賃金の後払い的性質(後払賃金)
在職中の労働に対する対価(給与)の一部を毎月支払わず、退職時にまとめて一括支給するという側面です。
- 長年の勤続・功労に対する報償的性質(功労報償)
長年にわたり会社に誠実に貢献し、企業秩序の維持に寄与してきたことに対する労いの性質です。
労働基準法上、会社に退職金制度を設置すること自体が義務付けられているわけではありません。しかし、一度会社が就業規則(退職金規程)や労働契約で退職金の支給条件や計算方法を具体的に定めた場合、その退職金は労働基準法第11条に定める「賃金」としての性質を帯びることになります。
退職金が「賃金の後払い」である以上、労働者がすでに提供した労働の対価として、原則として法律上保護される労働者の権利となります。したがって、会社が勝手な判断で「気に入らないから」「急に辞めたから」といった理由で支給を免れることは到底許されません。
就業規則に「不支給条項」があれば全額不支給にできるのか?

多くの企業の就業規則や退職金規程には、「懲戒解雇された者には退職金の全部または一部を支給しない」「退職後一定の非違行為があった場合は退職金を減額・返還させる」といった条項が置かれています。
では、就業規則にこのような不支給・減額条項が存在していれば、懲戒解雇などの際に自動的に退職金ゼロが正当化されるのでしょうか。
結論から申し上げますと、裁判例において、退職金の全額不支給や大幅な減額が認められるハードルは極めて高く設定されています。
「著しい背信行為」が必要とされる判断基準
判例法理では、退職金が「賃金の後払い」という重要な性質を有していることから、退職金を全額不支給または大幅減額するためには、「それまでの長年の勤続による功績をすべて抹消してしまうほどの著しい背信行為」が存在する場合に限られると厳格に解釈されています。
単に懲戒解雇の要件を満たしたという事実だけで、直ちに退職金が全額不支給となるわけではありません。懲戒解雇自体が客観的に妥当とされるケースであっても、それまでの勤続年数や会社への貢献度、非違行為の性質や被害額などを総合的に考慮した結果、「全額不支給は重すぎるため違法・無効であり、数割程度の減額にとどめるべきである」と判断される判例が多数存在します。
退職金の「不支給・減額」が争われる代表的なケース

退職金の不支給や減額をめぐって、会社と労働者の間でトラブルとなりやすい代表的な場面とその法的論点について解説します。
懲戒解雇に伴う不支給
最もトラブルが多いのが、社内規定違反や不祥事を理由に懲戒解雇処分を受け、同時に退職金を不支給とされるケースです。
- 業務上の横領・背任行為
会社の資金を大規模に着服していたなど、企業に重大な金銭的被害を与えたケースでは、長年の功績を打ち消す「著しい背信行為」と認められ、全額不支給が適法とされる可能性が高くなります。 - 軽度〜中度の規律違反・私生活上の非違行為
業務上の指示違反、ハラスメント行為、私生活上のトラブル(飲酒運転や軽度な事件など)を理由とする懲戒解雇の場合、非違行為の程度と長年の勤務実績を天秤にかけた際、「全額不支給は権利の濫用であり無効」とされ、退職金の5割〜8割程度の支払いを命じられるケースが少なくありません。
退職後の同業他社への転職(競業避止義務違反)
退職後に同業他社へ転職したことや、在職中のノウハウを生かして起業したことを理由に、退職金の不支給や返還を求められるケースも多く見られます。
退職後の労働者には、憲法上保障された「職業選択の自由(憲法22条1項)」が存在します。そのため、会社が就業規則等で競業避止義務を課していたとしても、その制限が合理的範囲(期間、場所、対象職種、代償措置の有無等)を超えて労働者の職業の自由を不当に拘束する場合、公序良俗に反して無効(民法90条)と判断されます。
同業他社への転職理由による退職金の不支給・減額についても、単に同業他社に就職したという事実だけでは足りず、「会社の営業上の重大な秘密(ノウハウや顧客情報)を持ち出して悪用し、元職場に著しい損害を与えた」など、極めて背信性の高い態様でない限り、全額不支給等は認められにくい傾向にあります。
自己都合退職・引き継ぎ不足などの理由
「引き継ぎを十分に行わずに急に辞めた」「忙しい時期に自己都合で退職して会社に迷惑をかけた」といった理由で会社が腹を立て、退職金の不支給や減額を主張することがあります。
しかし、労働者には原則として退職の自由(民法627条1項)があり、就業規則に定める退職手続きに則って退職している以上、引き継ぎの不不備や時期の不照といった理由で退職金を減額することは、法的に一切認められません。
退職金を不当に拒否された場合の対処法・解決ステップ

会社から「退職金は支払わない」「減額する」と告げられた場合、どのように行動すべきでしょうか。労働者側が取るべき具体的な対処法を解説します。
Step 1:根拠資料・証拠の確保
まずは会社側の主張の根拠や、ご自身の勤続実態を証明するための証拠を集めます。
- 就業規則および退職金規程(コピーまたは写真) 退職金の支給要件、計算式、不支給条項の内容を確認します。
- 退職金不支給(減額)通知書 会社から不支給や減額の通知を文書で受け取っている場合、その書面を保管します。口頭で告げられた場合は、メールや録音データで会社側の主張内容を残しておきます。
- 給与明細、雇用契約書、タイムカード 勤続年数や基本給、過去の評価などを証明できる資料です。
Step 2:会社への説明要求と不承諾の意思表示
会社に対して、どのような客観的事情に基づき退職金を不支給・減額とするのか、具体的な理由の説明を求めます。また、「会社の不支給決定には納得しておらず、同意しない」という意思を文書(内容証明郵便など)で明確に伝達しておくことが重要です。
Step 3:弁護士による示談交渉・請求
労働者個人で会社と交渉を行っても、「社内規定で決まっている」「弁護士に確認した」などと言われ、取り合ってもらえないケースが大半です。
専門家である弁護士に依頼することで、弁護士が代理人となり、労働法および過去の判例法理に基づいた法的書面(内容証明郵便)を会社へ送付します。弁護士が前面に出ることで、会社側も法的リスクや裁判に発展した場合の敗訴可能性を意識せざるを得なくなり、裁判前の示談交渉段階で適正な退職金の支払いに応じるケースが非常に多く存在します。
Step 4:労働審判・民事訴訟(裁判)の提起
交渉で会社が頑なに不支給の立場を崩さない場合、裁判所の手続きへ移行します。
- 労働審判手続
裁判官1名と労働問題の専門家である労働審判員2名が介入し、原則3回以内の期日でスピーディーに審理を行う手続きです。多くの場合、柔軟な和解(退職金の数割〜満額の支払い)による早期解決が期待できます。 - 民事訴訟(裁判)
労働審判で決着がつかない場合や、直接判決を求める場合は訴訟へ移行します。判決により懲戒解雇の無効や退職金請求権の存在が認められれば、裁判所から会社に対して退職金全額および遅延損害金の支払いが命じられます。
まとめ

- 退職金は「賃金の後払い」および「長年の勤続に対する功労報償」としての性質を持つ労働者の権利である。
- 就業規則に不支給条項が存在しても、直ちに退職金ゼロが認められるわけではない。
- 退職金の全額不支給・減額が法的に認められるのは、長年の功績をすべて抹消してしまうほどの「著しい背信行為」が存在する極めて限られたケースのみである。
- 不当な退職金拒否に対しては、証拠を揃えた上で専門的知見を持つ弁護士に早期相談・依頼することが解決への最善策である。
グリーンリーフ法律事務所は、設立以来35年の実績があり、18名の弁護士が所属する、埼玉県ではトップクラスの法律事務所です。
また、各分野について専門チームを設けており、専門チームの弁護士は、各担当分野について知識・経験とも豊富で、大きな強みを持っています。まずは、一度お気軽にご相談ください。
この記事を書いた弁護士:弁護士 椎名慧
労働問題
弁護士法人グリーンリーフ法律事務所所属、埼玉弁護士会所属の弁護士。令和7年登録後、不当解雇、残業代請求、ハラスメント問題など、労働事件全般において数多くの案件を担当。最新の労働判例に精通し、労働者・使用者双方の視点を踏まえた戦略的な紛争解決を得意とする。現場の実態に即した迅速な初動対応と、緻密な証拠分析を通じて、適正な労働環境の実現と依頼者の利益保護に尽力している。







